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最近、生徒に勧められてゴールデンカムイを見たのですが、めちゃくちゃ面白いですね(笑)学生時代に文化人類学の研究をしていたことを思い出しました。やっぱりいろんな文化を知ることは面白いですね!
そんなこともあり、まだ一回もやっていなかった文化人類学について今回は解説していこうと思います。
それではいってみましょう!
1.文化人類学とは
まずは文化人類学とは何なのかその定義や意味から見ていきたいところなのですが、細かい定義や意味は国や研究者によって若干異なるので、今回は大まかな輪郭をとらえるというイメージでいきます。ですので、いつものことですが、あまり堅苦しく考えずに大体のイメージをつかんでいただければと思います。
1-1.文化人類学の定義
- 文化人類学:世界の様々な民族の「文化」を比較研究することで人類や社会の本質に迫る学問。
ここで少し注意が必要なことがいくつかあるので解説しておきます。
民族に関する学問だと「民族学」というものがありますが、日本の場合は「民族学」と「文化人類学」はほとんど一致します。海外では異なった分類をすることもありますが、とりあえず日本では『民族学≒文化人類学』との認識で構いません。
次に「民族」や「文化」について、どういったものとして扱うのか(何を指すのか)は定義が必要です。「文化」については、後ほど解説しますのでここでは「民族」の定義とその解説を加えておきます。
- 民族:共通の言語、共通の生活様式、同一の集団に帰属するという意識をもった人々の集団。
つまり、①共通の言語、②共通の生活様式、③同一集団だという帰属意識、原則この3つが満たされると一つの民族と認識されるわけですね。少し注意が必要なのが、①の言語についてです。これは、あくまで言語なので文字である必要はありません。つまり、共通言語があれば、無文字でも構わないわけです。
民族について、少し具体的に考えてみましょう。
日本国民は、まず日本語という共通言語をもっていますね。共通の生活様式だといろいろ挙げられますが、「いただきます」を言うとか墓参りをするとかです。帰属意識については、簡単に言うと「どこの国の人ですか。」と問われ、「日本です。」と答えるようなもので、日本人としての意識がある(日本という国に帰属している意識がある)ということになります。つまり、上記①②③を満たすので「日本民族」とカテゴライズできるわけですね。
民族の定義で重要なのは、先程の①②③はあくまで原則ということです。
例えば、日本には「アイヌ」と呼ばれる人々がいますが、彼らの生活様式は現在ほとんど失われています。ところが、どうでしょう。やはり、彼らは一つの民族だという印象が強いのではないでしょうか。この場合は、①や③にウェイトが置かれて固有の民族としてとらえられています。だから、「アイヌ民族」と呼ばれたりしますよね。
以上のことから、ここでご紹介した民族の定義はあくまで原則としてとらえ何を民族とするかは流動的だったりすると理解しておくとよいかと思います。(他の基準で民族を定義することもありますからね。)
1-2.研究対象と研究方法
次に、研究対象と研究方法について見ていきましょう。
まず、研究対象についてですが、現在は「現存する文化すべてが対象」になります。
現在はというのは、文化人類学が始まった当初はもっと限定的な少数民族の社会や文化が研究対象でしたが、徐々にその対象は拡大していき、大国の農村や都市も研究対象になっていったという経緯があるためです。これについては3-1.でまとめます。
例えば、いかにも民族チックな儀礼や信仰、呪術などは文化人類学の伝統的な研究分野ですが、都市問題や文明の影響や変化を研究する都市人類学なんていうのも文化人類学の一分野になるわけですね。
次に、研究方法について見ていきましょう。
これについては参与的観察が原則の「フィールドワーク」がメインとなってきます。
- フィールドワーク:研究者自身が研究対象の社会に入り、データを収集していく手法。
ここで少し注意が必要なのが、このフィールドワークは参与的観察が原則ということです。
- 参与的観察:研究者自身が研究対象の社会に入り、長期的にその社会で生活しながらデータを収集していく手法。
単にフィールドワークというと一時的に研究室外で取材をすることもありますが、文化人類学のフィールドワークでは長期的な交流をもとにデータを収集していくことが原則にあり、これが一般的なフィールドワークと比べて特異な点になります。
これにより、なかなか数値化できない文化の価値観や考え方といった部分に迫る「質的研究」を進めていくわけですね。
- 質的研究:数値化できない現象の理解、説明、解釈を目指す研究。
1-3.研究の諸分野
研究分野にについても時代を経るごとに拡大していき、厳密な分類が困難な分野もありますが、ここでは主要な分野の住み分けを列挙しておきます。
- フィールドワークなどの方法論、学説史研究
- 民族史、民族文化史研究
- 言語人類学(言語の本質に関する理論や諸言語の比較等)
- 自然環境や生業(狩猟、漁労、牧畜など)、民具、衣食住、技術、民芸の研究
- 政治人類学、法人類学、経済人類学(親族関係や社会、政治、経済、人間関係など)
- 宗教、儀礼、祭礼、呪術、信仰
- 神話、民話、伝承
- 民族音楽学(音楽、民謡、舞踊、劇)
- 都市人類学(都市問題、都市文明、文明の影響や変化)
- 躾や教育、人格形成、国民性の特色、文化と心理的適応、精神衛生
- 映像人類学(映画による民族の生活習慣を記録する方法などについて)
- 認識人類学(各文化の住民が自分の住む世界をどう認識しているのかについて)
- 医療人類学(各民族の民間医療、病気治癒システムについて)
ぱっと挙げるだけでもこれだけあります。文化がいかに人間に欠かせないものか、広く浸透しているかがわかりますね。
繰り返しになりますが、ここで挙げた例は主要なもの(中にはニッチなのもありますが)の一部ですので、ご了承ください。
では、次に「文化」の定義について見ていきましょう。
2.文化とは
「文化」とは、何かと問われたら何と答えますかね。
これって結構難しいのではないでしょうか。なんとなく「文化」をもっている感覚はあるが、それが一体どんなものなのかは答えられないという方は結構多いのではないでしょうか。なんだか千差万別の答えがありそうな気もしますしね...。
文化人類学における「文化」とはどんなものなのでしょうか。
2-1.文化の定義
前述の通り「文化」の定義は、なかなか困難です。
これは文化人類学が明らかにしたい一つの概念でもありますが、研究者によっていろんな主張があります。ですので、ここではまず、文化という言葉のそもそもの意味を見て著名な研究者の主張を紹介した後に、簡単にまとめます。一般的な文化という言葉と文化人類学における「文化」の違いを把握していただけたら上々です。
文化人類学では、②の意味で使われます。ここを出発点にして、多くの研究者により具体化されていきます。どんな定義があるかいくつか見ていきましょう。
「知識、信仰、芸術、法律、風習、その他社会の成員としての人間によって獲得されたあらゆる能力や習慣を含む複合体の全体。」
―エドワード・タイラー
「後天的、歴史的に形成された外面的および内面的な生活様式の体系であり、集団の全員または、特定のメンバーにより共有されるもの。」
ークライド・クラックホーン
「ある社会の成員による諸行動を有意味にする暗黙の前提となっている考え」
他にも多くの定義がありますが、筆者の独断で3者の定義を挙げてみました(笑)。
いかがでしょう。一語一句に注意して解釈してみると、特定の集団によって共有される点は共通しているように思えませんか。特に、ルース・ベネディクトの定義はしっくりくるのではないでしょうか。
ここからは、私見が入りますが、まとめてみましょう。
筆者は彼らの意見を踏まえて「文化」とは、人間というハードに読み込まれるソフトだと落とし込んでいます。
PCやスマホで考えると分かりやすいかもしれません。PCやスマホなどのハードにPCだとofficeやAdobe、スマホだとTwitterやLINEといったソフトを入れることで様々なことができるようになりますね。
それと同じで、人間というハードに文化というソフトを組み込むことで、その文化圏において適した行動をとる(生活様式に適応する)ことができるようになるわけです。
3.起源と変遷
では、次に文化人類学の起源と変遷を見ていきましょう。このテーマ(特に変遷)については、国や地域によって様々なので、大きく世界的な流れをご紹介していきます。
3-1.文化人類学の起こりと変化
先に年表でまとめますね。
- 15世紀~17世紀 大航海時代(コロンブスによるアメリカ大陸の発見など)
- 18世紀 ヨーロッパ以外の地域に住む人々の慣習などへ関心が高まる。
- 19世紀 人類学(人類に関する総合的な学問)が学問体系としての根を下ろす。
- 1839年 パリ民族学会(世界初の民族学会)が誕生。
- 1843年 ロンドン民族学会が誕生。ヨーロッパでの研究の中心地へ。
- 1884年 オックスフォード大学で民族学が開講。(世界初の民族学の講座)
- 1914年 マリノフスキーがニューギニアの調査を行う。(世界初の参与的観察)
- 1934年 アメリカにてインディアン再編成法が可決。(文化相対主義へ)
- 1940年代 欧米や日本の農村も人類学の研究対象になる。
- 1950年代 文明国の都市も人類学の研究対象になる。
ヨーロッパの人々が世界各地に進出した時代ですね。そこで、全く知らない「文化」をもつ人々に出会い、彼らと彼らの文化に関心が集まりました。初めは、純粋な好奇心から始まったんですね。
ところが、航路が確立し、交易圏が形成されてくると円滑な布教や通商の観点からヨーロッパ外の人々について理解をする必要が生じてきます。異文化を理解したいという目的から政策的な目的が中心になっていったわけですね。
そのため、当時の人類学は「ヨーロッパ中心主義」に支えられていました。未知の民族社会を野蛮とか未開などと呼び、文明国であるヨーロッパ諸国が布教を通じて文明化させるとか、ヨーロッパ諸国が優位に貿易を進めるために他民族を研究するとかいったことが当たり前に行われていました。まさに、ヨーロッパ中心主義ですね。ヨーロッパこそ世界の中心、最も優れていると言わんばかりです(笑)
そんななか、トロブリアンド諸島にてマリノフスキーが世界初の「参与的観察」を行います。この年は、第一次世界大戦が勃発した年ですね。これにより、マリノフスキーは帰国できなくなり、2年ほどトロブリアンド諸島に滞在することになりました。結果、彼は住民の言葉を理解し、共に生活することで彼らの文化を詳細に観察することができるようになっていました。ここから「参与的観察」が文化人類学において重要な研究方法になっていったわけですね。
そして、1934年にアメリカで可決された「インディアン再編成法」により、文化人類学は大きな転換を迎えます。
ヨーロッパの入植以来アメリカでは、先住民のインディアンが支配されてきました。これもヨーロッパ中心主義の影響ですね。インディアン独自の文化や風習は野蛮、未開のものとされ、ヨーロッパ式の習慣を強制されるという状況でした。
この状況が何を機に変わったのか。1930年代のアメリカで何があったか覚えていますか。一度は聞いたことがあると思います。「ニューディール政策」です。これによりアメリカでは内外の政策に改新がされていくわけですが、この一環でインディアンに対する統治にも見直しがされていくことになります。(具体的にどういう繋がりがあるのかは今回は割愛します。)
ヨーロッパの文明や宗教、価値観を基準にして一方的にインディアンの文化を判断してはいけないし、それを強制してもいけない。インディアンにはインディアンの固有の文化があるのだからそれを尊重すべきである。こうした考え方が広がり、法として整備されたのが「インディアン再編成法」になります。
そして、この見方が人類学者の共通の認識となっていきました。それまでヨーロッパ中心主義(自文化中心主義)だった文化人類学が「文化相対主義」へと転換していったわけですね。
- 文化相対主義:全ての文化を独自の価値を持つ対等なものと捉える考え方。
こうして見ると、文化相対主義ってかなりいい考えに思えるかもしれません。今回は割愛しますが、これはこれで問題も孕んでいるということを覚えておいていただけたら幸いです。
4.まとめ 異文化理解と言うけれど
いかがでしたでしょうか。今回は文化人類学についてその概観を解説してみました。少しでも興味持っていただけたり、入り口になったりしたら嬉しいです。
あらゆるところでボーダレス化が進み、異文化理解や多様性が叫ばれていますが、言葉ではわかっていてもなかなか理解しあえないという状況は世界中にまだまだありますよね。
世界規模でなく個人間レベルでも考え方が合わない人とか嫌いな人っていうのは当然のように出てきてしまいます。いろんな人(文化、考え方)がいる(ある)と分かっていても、いざ自分と合わないものに出くわすと退けたくなるのはあるあるですね。
その退ける一択のところに他の選択肢の可能性を見出せるのが文化人類学のいいところだと筆者は思っています。文化人類学を学ぶと自分と異なるものを知り、歩み寄る可能性を探る思考が身につくと思うからです。
異文化理解や多様性を促す制度も増えてきていますが、社会的にだけでなく、個人レベルの精神的にも私たちが受け入れる態勢を整えることができたら、もっと寛容な世界になるのではなんて思ったりします。
なかなか難しいところですが、これからの私達と世界に期待しましょう(笑)
ということで今回はここまでです。
感想、質問、リクエストなんでもウェルカムなので、ぜひ気軽にくださいね。お待ちしてます。 ではまた次回お会いしましょう。