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【日本史】氏族と氏姓制度を支えた氏神信仰

いらっしゃいませ! 人文社会科学LABOへようこそ! こちらでは、こんなことしてます。よろしければ、ご覧になってみてくださいね。

miyamot.hatenablog.com

今回は、氏族についてです。

このブログの裏テーマとして、「なんか聞いたことあるけど・・・。」に答えるというものがあります。

解説のテーマは基本的にそうした内容をピックアップするようにしていますが、氏族ってまさに「なんか聞いたことあるけど・・・。」にぴったりなのではないかと個人的に思っています。

地方では、氏族とか氏神信仰とか結構がっつり残っていてその地域では、コミュニティーの維持に一役買っていたりするんですよね。

そんな氏族とはどんなものなのか、氏神信仰との関係などを高校日本史で習う氏姓制度とと絡めて解説していこうと思います。

それではいってみましょう!

 

 

1.氏族

実は、氏族って時代によってちょっと意味合いが異なってきます

だから、この言葉は文脈や時代背景に注意しながら使う必要があります。まずは、氏族がもともとどんなものだったのかから押さえていきましょう。

1-1.血縁集団としての氏族

  •  氏族共通の祖先をもつこと、もしくは共通の祖先をもつという意識のもとに結合した集団。

日本史でたくさん出てくる藤原氏を例に挙げてみましょう。

彼らの祖先は、藤原鎌足中臣鎌足です。大化の改新乙巳の変で有名な人ですね。

日本史で習う、藤原不比等藤原広嗣藤原良継藤原時平藤原道長など挙げればきりがないですが、彼らはみんな藤原氏で祖先を辿れば、藤原鎌足中臣鎌足に行きつきます

これが氏族の典型になります。〇〇一族と言い換えることもできますね。

ポイントは、共通祖先をもつことで結合している、もしくは共通祖先をもつという意識で結合しているということです。

つまり、血縁で結ばれているわけですね。

氏族が社会単位になった背景には、農耕があります。

農耕について詳しくはこちらをご覧ください。

miyamot.hatenablog.com

弥生時代BC4世紀~3世紀農耕が本格的に始まり、集団生活の必要性が出てきました。

田畑を耕し、育て、収穫するというのは重労働ですからね。だから、家族(血縁集団)みんなでやるわけですが、人は多い方が効率はいいですし、耕地面積が広がればその分たくさん実り、安定した生活を送れます。

つまり、農耕によって家族(人口)を増やして、その分たくさん収穫し、生活の安定化を図るというサイクルを繰り返しながら人々は生きていくようになりました。

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農耕と生活

このサイクルがどの一族でもうまく回れば、みんなハッピーかもしれませんが、もちろんそううまくいきません。

肥えた土地があれば、やせた土地もありますし、子宝に恵まれる一族もあれば、子供が少ない一族もあります。

このサイクルは一律ではないため、当然に貧富の差が生まれます。

つまり、勢力が強い氏族とそうではない氏族が出てくるようになるわけですね。

2.氏姓制度と氏族

農耕の本格始動によって、各地に有力氏族が出てきました。

弥生時代BC4世紀~3世紀が終わり、古墳時代3世紀中頃~7世紀が始まるころ、日本ではある政治組織が誕生します。

ヤマト政権です。

ヤマト政権の登場によって、これまで血縁集団であった氏族は変容していくことになります。

2-1.氏姓制度に組み込まれた氏族

  • ヤマト政権3世紀中から4世紀頃に大和地方(奈良県)を中心に成立した有力氏族の連合政権

ヤマト政権については、まだまだ謎が多いですが、各地に成立した有力氏族が集まってできた政治組織だという認識でひとまず大丈夫です。

有力氏族が集まってできた連合政権なので、どのように統制を図るかというのは最優先事項になります。強大なチームができても個性強すぎて空中分解したら意味がないですからね。

そこで、5世紀から6世紀にかけて整備されたのが、氏姓制度と呼ばれる支配体制でした。

  • 氏姓制度(うじ)と呼ばれる同族集団ごとに、身分秩序を表す(かばね)を与え,豪族(ここでは有力氏族)を支配・統制する制度。

いまいちピンとこないですよね(笑)大丈夫です。ここってめちゃくちゃ質問多いところなので、少しじっくり解説しますね。

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氏と姓

まず、バラバラだった氏族という画一の形式に編成します。そして、氏の氏族が各を担うというという仕組みですね。

今まで、血縁の一族を指した氏族に、使用人(氏族の身辺の手伝いをする)部曲と田畑を耕作する奴隷身分の奴婢、所有地の田荘を含めてになったというのがポイントです。

は、職務内容によって分かれていますが、どの氏がどの姓を担当するかはほとんど決まっていました

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姓と氏の関係

少し細かいですが、大切なところなので少し補足をします。

  • 天皇家から別れた有力氏族が担う。なかでもトップの氏族を大臣という。
  • 天皇家とは祖先神が異なる有力氏族が担う。なかでもトップの氏族を大連という。
  • の部下。軍事、財政など政治の管理を行う。なかでもトップの氏族を伴造という。
  • 天皇家から別れた地方有力氏族が担う。
  • 天皇家とは祖先神が異なる地方有力氏族が担う。後に国造と呼ばれる。

ヤマト政権ゆかりがどの程度あるかによって微妙に地位(身分関係)の違いが出てくるというのがポイントです。

これは、当然と言えば当然かもしれません。ヤマト政権も信頼のおける氏に姓を任していきたいですからね。

身分関係が紐付いたを与えることで、効率的に氏族を支配し、政治を行っていくというのが氏姓制度の趣旨です。

上位のが与えられた氏族に下位の氏族が従う構図があれば、大王大臣大連がいちいち各氏族に従うように言わなくて済みます

序列順に地方のは伴に従い、伴造に従う。そして、伴造大臣大連に従う。これってつまり大王ヤマト政権に従うってことですからね。

ここまでを踏まえて、氏姓制度の構図を見てみましょう。

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氏姓制度の構図

新出の言葉があるので解説しておきますね。

  • 舎人(とねり):中央(宮廷)の警備や雑用を担う男性。
  • 采女(うねめ):中央(宮廷)での世話係を担う女性。
  • (べ):文書作成や馬の管理、鋳造など、職業により分類された労働集団。もともとは、に起源をもち、職務の細分化により生じた。
  • 屯倉(みやけ):中央の直轄地。
  • 名代子代(なしろ・こしろ):中央の直轄民。屯倉での労働者。両者の区別は不明な点が多い。
  • 田部(たべ):屯倉の耕作民。

少しややこしいのが、伴造国造が兼任の場合があるということですね。

伴造部(労働者)の管理をしていたので、地方の労働者である名代子代の管理も兼任する場合がありました。そのため、上記図の緑の矢印のようになることがあったわけですね。

あと、よく聞かれるのが、屯倉は何のためにあるのかということですね。

地方に支配権を与えて、中央の言うこと聞かせているのにわざわざ地方に中央の直轄地を作る必要があるのかということです。

これは、いくつか理由がありますが、大きな要因の一つは、磐井の乱528年です。

地方の氏族がみんなヤマト政権に従えばいいですが、ときには反乱もありました。その最大のものが、磐井の乱筑紫国の国造である磐井氏の反乱です。これは、ヤマト政権が制圧しますが、なんと制圧には2年の月日がかかりました

こうした経緯があり、中央の直轄地である屯倉を地方に作ることで地方の監視や牽制を行うようになりました。

屯倉地理的には中央の大和地方(奈良県)から離れていますが、実質的には中央の直轄地であるということで、飛び地のようなイメージで理解するとよいかと思います。

3.氏神信仰と氏族

氏姓制度の登場によって、氏族という集団に組み込まれいきました

この支配体制によって、ヤマト政権九州から東北地方中部にまで支配範囲を拡大させます。

では、氏姓制度を支えたものは何だったのでしょうか。もっと本質的な部分を深堀してみましょう。

3-1.氏神信仰

  • 氏神信仰:もとは、一族の祖先神(氏神)に対する信仰。後に同じ地域に住む人々によって祀られる神への信仰となり、現在でもこちらでの意味合いが強い。

農耕により集団生活の必要性が出てきたことで、氏族は社会単位となったというのは前述の通りですが、ここで最も大切なのは、集団の維持(結束)になります。

集団の維持(結束)には、自分はこの集団の一員だという帰属意識が欠かせません。これがないと、氏族のメンバーがあっち行ったりこっち行ったり、集団生活どころではないですからね。

氏姓制度が始まる前から氏神信仰はありましたが、このころの氏族は氏神信仰よりも血縁による結びつきが帰属意識の中核をなしていました。

誰の親(子)であるとか、誰の兄弟姉妹であるとかいった家族関係が集団を維持させる中心的な役割を担っており、その一族は○○という神を祖先神としているという具合です。

ところが、氏姓制度により氏族以外の人々部曲奴婢を加えたが社会単位となったことで、氏族ではなくという集団の維持が必要になってきました。

従来の考え方では、これは悩ましい点があります。

氏族以外の血縁者ではない人々が組み込まれるので、血縁だけで氏の集団を維持するのは難しいですよね。

そこで、血縁よりも氏神信仰帰属意識の中核を担うようになってきました。

つまり、同じ神を信仰することで、自分は○○という神を信仰する集団の一員だという帰属意識を維持させていったわけです。

上記「氏と姓」の図にある通り、には一定の所有地があり、そこに氏族部曲奴婢は住んでいますから、この所有地の人々は○○という神を信仰している集団というようになってきます。

言い換えると、血縁ではなく地縁という集団の維持に重要になってきたということですね。

氏神は、産土神鎮守神と同一として考えられることが多いですが、その起源はここにあります。

  • 産土神:その者が生まれた土地の神。
  • 鎮守神:特定の地域や建造物を守るために祀られる神。

どちらも土着の(土地に紐づいた)神様ですね。

後に氏姓制度は崩壊し、氏神信仰も衰退します。

しかし、産土神鎮守神のように土地に関連した神の信仰による集団の維持は長い間続き、現代にも残っている場所があるというわけですね。

4.まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は、氏族と氏神信仰の関係について解説しました。

昨今のコロナ禍で、地方の伝統的な慣習にも影響が出ているところもあるようです。

私の地元でも、毎年行われていた地域住民が小さな公民館に集まって氏神様に1年の無病息災や五穀豊穣を願う集まり(実際は、それを建前としたお食事会、飲み会)も中止になっていました。

コロナ禍のニュースでは、感染や経済的なトピックがメインを占めていますが、こういう文化的なところにも間違いなく影響は出ていますね。

氏神信仰は人間が作り出した制度によって変化してきた、人為的変化の部分が大きいですが、人類史の見方を変えると感染症の影響も計り知れないものがあります。

これからコロナ禍がどうなっていくのか依然として不透明なままですが、これまで続いてきた伝統的な文化もコロナ禍で変容していくかもしれませんね。

それが良いか悪いかは置いておいて、どんな変化があるのか見守っていきたいところです。

ということで今回は、ここでです。

感想、質問、リクエストなんでもウェルカムなので、ぜひ気軽にくださいね。お待ちしてます。 ではまた次回お会いしましょう。